マチュピチュでの一日
早朝3時、不安が募りながら、待ち合わせ場所に指定されたマックの前に向かう。
宿の前の長い階段は、下へ降りるまで、人が全くいないので、若干怖かった。
そして、少しすると、クラブのような大音量でパリぴみたいな奴がぎゃーぎゃー騒ぐ場所へ出た。
サヨは、誰もいない道より、パリピがいる所の方が安心と言っていたが、どっちにしろ僕にとっては怖い。
なんで、こんなところにいるのか考えてしまうおっさんを、野良犬が吠えまくっていた。
やっぱり、日本じゃありえない光景だと思う。
アルマス広場のマックの前に着いて、迎えを待った。
同じようなバックパッカーの欧米人の集団がいたので、同じ迎えかと思って、まちゅぴちゅへ行くのか聞いてみたけれど、どうやら違った。
相変わらず、野良犬は何匹も走り回って、時々けんかが始まるし、
横の方の道からは、なぜか大号泣をしている女が登場するし、
やっぱり怖かった。
しかも、迎えがそもそも本当に来るのか不安だった。
時間が過ぎて、向こうの方から、おばさんが一人歩いてきた。「サヨ」と言いながら。
やっと来たので安心した。これで間違いなく行ける。
おばさんについて行くと、乗り合いのバンに乗り、いざ出発した。
隣に乗ってきた外国人に挨拶をしたら、スペイン人だった。
実は僕は、以前スペインに行ったことがあるので、親近感がわき、必死で話しかけた。
ジャパンと、自分の国を説明すると、彼は興奮して、東京に行ったことがあると言った。
続いて、ギフと聞こえた気がしたので、僕が岐阜出身だと言うと、ギフは知らないという顔をされた。
空耳アワーだった。めっちゃ恥ずかしい。
しばらくして、おばさんが叫びだし、みんな降りて行く。
スペイン人の彼に、乗り換えるのかと聞くとそうだと言ったので、少し小さめのミニバスに乗り換えて、再び出発した。
乗り換えるとかなりの眠気が襲ってきて、すぐに寝た。
寝てしまったので、あっという間にオリャンタイタンボ駅に到着した。
すげー寒かった。
そのまま、鉄道のホームへと向かった。
ホームには、ペルーレイルが停まっていたけど、僕達が乗るのはインカレイルなので、
少し待ってすぐにやってきた。
バンに乗る時に、2人組の女の子がいたのだけど、ここでまたすぐそばに来たので、
話しかけた。
ドイツ人とカナダ人だった。全く違う国同士なのに、一緒に旅をしてるんだなと思ったけど、
サヨも時々、外国人と旅行に行ったりしているので、そういうもんかと思った。
インカレイルが到着して、乗り込んだ。
乗り込みはしっかりチケットとパスポートで本人確認された。
中は綺麗で、椅子もふかふかだった。
隣のボックスには、男女4人組が来て、また挨拶をすると凄くフレンドリーに返してくれた。
またドイツから来たみたいで、今日はドイツに縁があるのかと思った。
僕は、ドイツに行ったことがないが、サヨはあるので、ドイツ話でちょっと盛り上がった。
なぜか座席は、サヨと僕は斜め向かい同士で、出発間際に、サヨの隣にすげーごつくて強そうな外人が来た。
かなり人見知りというか、挨拶しても無視されて、俺に触るな的な人だったけど、遅れてサヨにぼそっと何か話しかけ始めた。
出身を聞くとウルグアイ人と判明。
南米では、かなり身近な国だが、僕には全くウルグアイの知識がない。
彼は、僕達が日本人だとわかると、ソニーカメラを見せてくれた。
そして、髪の毛を最近染めたと言って、帽子を脱いで見せてくれた。緑色の髪だった。
サヨと褒めると、照れくさそうに笑った。その笑顔がとっても可愛かった。
サヨも普段は、一人で海外を回っているので、一匹オオカミ同士で気を許せる雰囲気があったのかもしれない。
とにかく鉄道は、楽しい!
窓の外の景色は、絶景で、かなりスピードを落として走っていたが、その割には凄い揺れた。
少しして、飲み物とお菓子のサービスまであって最高だった。
そして、気付けば、サヨもウルグアイ人の彼も、仲良く並んで居眠りをしていた。
マチュピチュ村の駅に到着した。
すぐにシャトルバス乗り場へGo!
結構人が凄かったけど、バスにはすぐに乗れた。
乗る時に並んでいると、現地ツアーの勧誘をしてくるおっさんがいた。
「日本人ですね?」と嬉しそうだった。
でも、すぐに乗りこまなければならなかったので、それ以上は、話すこともなく別れた。
バスは山を登っていき、あっという間に入口へ到着した。
トイレは、1ペソだった。
みんな上着を脱いで、歩く準備をし、朝食をとっていた。
僕とサヨも、薄着になっていざ!と思いきや、
むっむー、なんかくさい!!
そう。僕のTシャツが生乾きでむちゃくちゃ臭かった。
洗濯はサヨにならって、シャワー時にしてしまっているが、移動が多いと、なかなかしっかり乾かせずに、生乾きのままいったん、しまわなくてはならない。
クスコに来るまで3日間、ぶっ続けの移動だったから、その間に雑菌が繁殖したのか、
昨日洗いなおしたにも関わらず、もう臭いが染み付いてしまったようだった。
すげーテンション下がる。
サヨについてきて、初めてバックパッカーをやっているが、楽しい半面、過酷なことも多くて、
よくサヨは、女一人で普段こんなことをこなしているなと思う。
感心する。もちろん、女バックパッカーはサヨだけじゃないけど、普通にイギリスやアメリカなんかのおしゃれな国が好きな感じの子なら、まずついていけないだろうと思う。
正直、サヨの旅におしゃれはあるのか?それよりも、交流優先なのだから。
女バックパッカーは、本当に凄いなと今なら思う。
いざ、入口へ向かうと、ここでもツアーガイドが日本語で代わる代わる勧誘して来た。
ここで、中国人や韓国人も多くなったが、日本人ってわかるんだなと思った。
やっと入場をすると、教科書なんかに出てきたあの光景が見えてきた。
雲が真横に流れているのも神秘的だし、ラピュタの世界だった。
すげー感動した。
自分がここにいるのが、不思議だった。
しかし、ピークはすぐに尽きた。
とにかく人が多い。
特に、絶景ポイントでは、人が溜まっていて、誰もがそこで写真を撮りたいのに、
自分勝手に何枚も何枚もポーズを変えて撮っているおばさんや、そこをどけと言ってくるおっさん、
親切に、僕達の写真を撮ってくれる人もいたけれど、正直、ここにもう来た人達が言っていた、ウユニの方がいい、の意味がよくわかった。
そのうえ、少し立ち止まっていると、動き続けろと係員に怒られたりもした。
欧米人や、韓国人や中国人の集団なんかは、そんな係員に注意されても無視していたが、
僕は、正直怖くて従うしかなかった。
あまりうるさいと、サヨがキレて言い返したりもする心配もあるため、さっさと歩いた。
もう、下に降りて、遺跡の中を歩いている時は、迷路状態だった。
僕は、知識がなかったから、ガイドブックを見ながら照らし合わせてあるいていたのだけれど、
広過ぎて、とても全部廻れなかった。
体の疲労もピークだった。
それでも廻りきれるだけ廻って、遺跡を出た。
そして、登って来た時と同じバスに乗って下山した。
脇の方の座席で、カップルの女が、飲むヨーグルトみたいなのを通路に思いっきりこぼして、
だけど気にする様子もなく無視していたら、後ろのおっさんに凄い勢いで怒られていた。
それでも女は無視して不貞寝をしていた。
日本では在り得ない光景だ。
そういうのを目にするたびに、つくづく日本人ってちゃんとしているなと感じる。
そんなバスの思い出となった。
帰りの電車までは時間も余っていたので、マチュピチュ村を歩いてみた。
サヨは、虫さされ痕にテープを貼っている。
かゆみが治まるのは良く分かるが、僕が気になるのは、よく目立つ赤いテープを貼って平気で歩いているなということだ。
サヨいわく、海外ではよく不思議がられて、それは何だと聞かれるらしい。
昼食に、ピザ窯が蛇の形をしたユニークなレストランに入った。
ふつうにうまかったけど、やたらと注文を焦らされた。
メニューがスペイン語と英語なので、選ぶのに時間が少し必要なのだけど、
ちょっと待ってとサヨが言っても、数秒後にまたとりに来た。
料理を食べているうちに、さっきまでぽつぽつだった雨は、どしゃ降りになった。
僕は雨男と言われるけれど、よく遺跡を出るまで天気がもったなと思った。
サヨも晴れ女だと言っているけれど、ここまで全部の観光場所で晴れたのは奇跡。
サヨは、愛犬だったはるこのパワーなんだと言った。
キーホルダーになって、守っているんだなと思った。
雨宿りをして、駅の辺りにある市場を歩いて、お土産を買ったりした。
駅に入ると、たまに東京でも見かける笛なんかを吹く人達が演奏をしていた。
サヨは、楽器などが好きなので、写真を撮ったりしていたけど、僕は少し近くで日本語が聞こえたのが気になった。
見ると、日本人同士で話しているのが目に入った。
ずっと、日本語が恋しかった。
イグアスの滝で、男の人と会ったきり、日本人とはちゃんと話せていない。
そもそも日本人に会えないんだけど。
期待を込めて、話しかけるタイミングを伺っていると、どうやら一人旅かなにかのおじさんが、マシンガントークで、一方的に、母娘の2人旅行の人に話すと言うより、自分の自慢をしていた。
娘の方は、もはやドン引きしていた。
僕は、そっとそばを離れた。
電車が来て乗り込む時に、腹が立つ出来事があった。
乗り込み口の前でずっと何枚も自撮りしていた白人の夫婦がいた。
完全に列の流れを止めてしまっていた。
僕の前の人が夫婦を抜かして電車に乗り込もうとしたら、その夫婦が自分たちが先に乗るんだとその人に文句を言って阻止した。
どこまで自分勝手なんだ!
こういう時、スペイン語が話せたら、彼は悪くないし、悪いのはお前らだろうと言ってやるのに、
こっちがただの抜かしたやつ扱いになってしまうのが、腹ただしかった。
異国では、クレームも言えない。つらい。
帰りの電車は、すぐに寝てしまった。誰もが寝ていて、行きはにぎやかだったのに、物凄い静かだった。
みんな遺跡を歩いて疲れ切ってしまっていたようだった。
オリャンタイ駅に着いたら、僕達の名前ボードを持った人たちが待っていて、すんなり帰れると聞いていた。
しかし、いない。かなり焦る。その間も、普通の勧誘がしつこい。
少し歩きながら探したがいないので、もう一度入口へ戻ると、さっき勧誘して来たおっさんがまたしつこかった。
リンカの名刺を見せて、金はもう払ったんだと言ったら、そのおっさんが電話をかけ始めた。
そうしているうちに、「サヨー」と叫んでいる人がいた。
遅いし!しかもなんで、いつもサヨなんだ。
ともかく、これでクスコに帰れる。と安心したのもつかの間、なぜかその女の人がさっきのおっさんに何か言って、おっさんについて行けと言う。
人身売買か?!
しかも、来た時のミニバスで帰れるんじゃないのか。おんぼろバンで帰るのかよ。
その上、お金請求されるんじゃないのかとすげー不安になった。
おっさんは、お金は心配するなと言っているが、降りる時、結局払えと言うんじゃないのか?
何がどうなってるのか全くわからん!
しかし、サヨは、そのおっさんに話しかけて、助手席に乗ってもいい?と嬉しそうにしていた。
おっさんも嬉しそうに、サヨを促していた。
まじで、なんなんだ。サヨは、いったいなんなんだ。
なんで、この怪しいおっさんを即座に信じられるんだ。
それがバックパッカーの勘なのか?
しかし、僕の心配をよそに、全く金は請求されることなく、クスコへ届けてくれた。
ただ、道中、フロントガラスが曇りまくって、外も暗くなり、
ガラスを拭くように頼まれ、まじで拭くのをやめたら事故るんじゃないかってくらい怖かったが。
しかも、ベンツのバンなのに44万キロも走っている。なんなんだこの車。
途中からは、おっさん自身まで、自分の帽子でフロントガラスを拭いていた。
クスコに着いて、アルマス広場かと思ったら、サンフランシスコ広場の方で、おっさんは、僕達にどこへ向かうのか聞くと、丁寧に、アルマス広場への道も教えてくれた。
歩いてすぐだが。なんだ、いい人だったやんと思った。
クスコでも雨が凄く降っていた。
スーパーで夕飯にポロを買った。米はまずいが、まあまあうまかった。とにかく安い。
その後、カバンを整理すると、空港ラウンジでもらったシャンプーリンスが入れっぱなしになっていたのを忘れていて、つぶしてしまって、カバンの中がシャンプーまみれになっていた。
やばい!カメラについたかも!サヨに怒られる!とひやっとしたけど、
レフも、取り換え用のレンズも無事だった。
そして、主要観光場所をマチュピチュで終えたので、帰国までどうするか話し合った。
ウユニで会った人達から、イカがとにかく楽しいと薦められていたので、行くつもりでいたが、
サヨが、クスコが居心地がいいので、その分クスコに居たいと言った。
僕は、正直、新しい町をまた覚えなおすのが面倒だったので、賛成した。
そして、残すはリマに帰るのみとなった。
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